Feb 16, 2009

活版印刷の名刺を作ってみませんか?

今現在は、簡単安価で簡単に名刺を作成する方法が巷にごまんとあります。しかし、活版印刷する名刺を作成するにこだわった町の小さな印刷屋さんがまだ元気に頑張っています。なんといっても一つ一つ手作業で組み立てていく活字。シャープにキレのある文字は活版印刷でしか表現することはできません。特に、会社の経営者のうちは根強いファンが多いです。
名刺は第一印象を高めるための必須アイテムにもなることができます。相手にわかりやすい名刺を作ることが重要です。まず、レイアウト全体のバランスを考えて、自分の名前のサイズが最も大きくみてください。名刺の下に表示されている会社の住所、電話番号は、混乱に配置するのではなく、左右の端を揃えてくれれば、非常に綺麗に仕上げています。また、名刺の作成に使用されるフ​​ォントもはっきりとわかりやすいものを選びましょう。
 松本市安曇の県道上高地公園線と国道158号で23日午後、相次いで発生した土石流。上高地で足止めとなり、宿泊施設で不安な一夜を過ごした観光客約800人は24日午後、全員下山し、安堵(あんど)や疲労の表情を見せた。
 松本市は24日、市安曇支所に災害対策現地本部を設置。警察、消防なども加わり、情報収集や観光客に下山手順の確認に追われた。観光客は午後1時半ごろ、下山を開始。県道の数百メートルの路面崩落現場を徒歩で渡った後、バスで松本市側に約220人、岐阜県高山市に約580人が向かい、帰途に就いた。
 神戸市垂水区、無職、中上潤次さん(62)と妻由美さん(62)は23日に1泊の予定で上高地へ。「停電もあり不安な夜だったが、結果的に足止めは1日だったので良かった」と安堵の表情。
 茨城県常陸太田市、農業、菊池勉さん(64)は23日は日帰り予定だった。「電話も通じず、泊まる用意もしていなかったので困った。旅行はよくするし、トラブルは付き物だが……」と苦笑した。
 県は道路の土砂撤去作業を24日早朝から開始。国道158号の坂巻トンネル付近の路肩も一部崩れた。現場視察した菅谷昭・松本市長は本格的な夏山シーズン前の災害に「自然災害はやむを得ないが、本当に残念。(道路を管理する)県にはできるだけ早く対応をお願いした」と険しい表情を見せた。
 上高地の不通電話対策として、NTT東日本が23日夜からヘリで衛星公衆電話を運び、11台を設置。67戸の停電は中部電力が電源車4台を現地に派遣し、送電を仮復旧させる。【大島英吾、古川修司、小田中大、福富智】

6月25日朝刊

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 ◇被災者にあきらめも
 東日本大震災に伴う福島第1原発事故の影響で、福島県南相馬市の住民が集団で長野県内の飯田市や周辺町村に避難して3カ月を超えた。当初、103人いた避難者は古里に戻るなどして徐々に減ったが、今も7市町村に計88人が暮らしている。自治体は生活の場や食事を提供し、地元企業には雇用という形で避難者を支える動きもある。避難者は南信州の人々の温かい心配りへの感謝を語る一方で、自宅に帰れないことへの悔しさや、あきらめの声を漏らしている。避難者の現状を取材した。【石川宏】
 ●高野庸二さん「東電全く信じない」
 「(南相馬市の)警戒区域内はゴーストタウン。動くものと言えば飼育小屋から解放された豚や牛だけ。放射能を知らなくて、動物たちはある意味『幸せなのかもしれないなあ』と思った」
 豊丘村に避難中の南相馬市小高区飯崎、元病院警備員、高野庸二さん(62)は6月7日、警戒区域内の自宅に約3カ月ぶりに足を踏み入れた。防護服を着ての1時間足らずの一時帰宅。持病の薬の処方箋と、パソコンを自宅から持ち出した。移動のバスの中から見る「無人の町」は奇妙な静けさに包まれていた。
 地震による自宅の被害は食器が割れた程度なのに福島第1原発の半径20キロ圏内のため、暮らせない。
 「原発事故収束に向けての東京電力の工程表は全く信じないし、小高区に帰れることは今のところ、全く期待していない。国会の内閣不信任決議案騒動の時は『政治家は被災者のことを何も考えていない』とすごく腹が立った」
 政治家について語る時、いつもの温厚な顔に憤怒の色が走る。
 村の避難所は風呂は火・木・土の週3日。掃除や炊事は避難者で分担し、単身の高野さんは相部屋。震災前に比べ、不便や不都合はあっても「朝晩の食材と昼の料理は届けてくれる。村には良くしていただいて本当に申し訳ない。お世話になってばかり」と感謝の言葉を繰り返した。
 ●松本武男さん「ここに来て良かった」
 「キュウリやナスの育ちはまあまあだな」
 キャベツやトマト、ジャガイモを植えた畑(約2アール)を見回し、南相馬市小高区村上、農業、松本武男さん(79)はつぶやいた。豊丘村の避難者は村の農業団体から好意で貸してもらった畑で野菜を育てている。松本さんは農作業の中心的存在だ。
 南相馬に1ヘクタールの田んぼを人に貸し、10アールの畑を耕していた。「ジャガイモをそろそろ植えようか」と思い立った時に、津波が襲った。田畑は海水につかり、自身は自衛隊ヘリで救出された。更に福島第1原発の半径20キロ圏内に入り、長期避難を強いられた。生まれて初めて訪れた豊丘村で「4月末にジャガイモを植えることになるとは思いもしなかった」と驚く。
 「やっぱ不安だったよ。でも今ではここに来て良かったと思ってる。うどんだの、何だのと向こうから持ってきてくれて、みんな親切にしてくれて。生まれた場所でねえけれど、生まれた場所と同じくらい良くしてくれる」と表情を和ませる。
 自宅に帰るめどは全く立たない。「たぶん家には戻れない。原発があっから。生きてるうちに自分の田んぼや畑で作れるようにはならないだろ。我々の年齢では無理だ。どうにもなんね」。寂しそうに話した。
   ◇  ◇
 避難者の声を上下2回に分けて紹介する。下は後日、掲載。

6月25日朝刊

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